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3/12
ほとんど眠らずに昼前に自宅へ帰宅。
帰宅途中、買い物してる人や公園で遊ぶ親子など人々の当たり前の生活を目にして、さっき見た映像との落差に不思議な気持ちになる。
家へ帰ると様々なものが散らかっているのだけどホッとする。やはりここが自分の家なのだ。少し眠ってから片付けようとも思ったのだけれど、眠れそうもないしとにかくなにか仕切りなおしたかったので片付けを始める。リビングが一通り片付いたところで少し眠ることにした。三時間くらい眠ったのだけれど、やはり深く眠れない。三時間もTwitterもTVも観てないと物凄く不安な気持ちになる、実際情報の進み方がとても速く急いで情報を収集する。
唯一連絡の取れなかった一人で暮らしてる茨城の祖母の安否を知る。どうや友人が助けに行ってくれたらしい。避難所に居るのではと思って心配していたので本当に感謝。
タマフルや東京ポッドなど少し明るい番組もラジオやポッドキャストでは放送されているんだけど自分自身が聴けるテンションになってない。なにより演者のぎこちなさに過敏に反応してしまう。おきてしまったことを逆に強く意識してしまう。
しかし、もうTVを観るのも限界だった。繰り返し見せられる衝撃映像の無限ループに疲れてしまい、とりあえず録画してあるアメトークを観る。
あたりまえだけどこのアメトークが流れてた3/10には誰もこんな恐ろしいことが起きるとは思ってもいなかった、震災の起きるまえの収録された映像を観ていて妙に落ち着いた。現実逃避なのだとはわかってはいるけど少しでも笑えた自分に安堵した。
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3/11
地震発生。酷い揺れで部屋の中のいろんなものが倒れハッキリと「死」を意識する。
運よく大切な人と一緒に自宅にいた僕は、犬をLL.BEANの大きいトートバックに入れ担ぎ最低限必要なものを持ち3人で10Fから階段を降りていく。物凄い恐怖とわりと冷静に行動している自分を客観的に観ながら公園へ非難しに。
公園へついてiPhoneを忘れたことに気づき、全く冷静じゃない自分に腹が立ち彼女のiPhoneを借りてTwitterにログイン。止まることのないTLで皆のツイートを確認。
ふざけたツイートしてる人もいて本気でアホじゃないかと頭にきたけど、後から考えるとその人のいた場所によって揺れ方も違うしこの時点ではさほど深刻になってなかったのかもしれない。
公園で落ち着くまでベンチに座りこれからのことを考えた。
立体駐車場の自分は停電になれば車をだせない、この後すぐにパニックになって渋滞が始まるだろうと思ったので自宅に戻り必要なものをまとめ、倒れたウォーターサーバーの水もそのままに実家へ向かう。マンションの階段を降りるときにプラスチックの燃える匂いがして火事にならないことを願った。
実家に着くとケロッとしてる母と、部屋の中が全く変わらないのでビックリした。
この時ようやく自分のマンションが細長く10Fなのであんなに揺れたのかもと理解ができた、それでも恐怖は拭えなかったけど。
とりあえず母が一人なので今日は実家ですごそうと決めTVを見る。
次々に流れるありえない映像と刻々と変わっていく情報にTVとTwitterから目が離せない。
結局ほとんど寝れず。
早朝何もなくなってしまった「街」だったハズの場所に強い朝日が差し込んでくるのをヘリでLIVE中継しているのが凄い印象的でなんとも表現できない。すぐに明るくなり地震後最初の朝が来た。
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下書きにしてたはずなのに消えてる。。。
毎日は無理なので気が向いたときにだけでもこっちに日記。
このように記録を残しておくと、見返すことで「時」の逆回しをすることができます。日記もそうですが「時」が過ぎ行くスピードを実感することにもなって、「時」のありがたみをとても感じることのできる良い部分もあります。TETさん
たしかに。
いつか見返すために書いていこう。
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雪降った。
とりあえずそれだけ。
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久々に(1年三ヶ月ぶりに)日記。
なんで書かなくなったのかも思いだせないし、もう1年以上経ってるのかって思うし、まだ1年ちょいかと。
また日記をこっちでつけよう自分の為に。
BENtheACEのJdeeミックスばっか聴いてる。